TOPにもどる

◆◆◆ 小説に向かうとき(5) ◆◆◆

この正月に京王百貨店新宿店で催された『職人・技の祭展』にはたくさんの知り合いがきてくれた。この時代、DMにこたえて足を運んでくれるひとは貴重のひとことである。それ以上に、ふだんなかなか顔を合わせることができないひとに会える、という点が、個人的な商売がらみとはいえ何よりうれしい。さまざまなひとがきてくださった。ありがたいと思う。2年連続できてくださった方もある。感謝のほかはない。
ところで、きていただいた方のなか、文学関係の旧い友人、知人との再会があった。
ひとりは余田浩四郎氏である。30年ぶりの再会だった。氏とは文学サークルふみの会を立ち上げたころの知り合いで、この間ずっと賀状だけはやりとりしていた。一目みて若いときの顔が浮かび、名前がすらっと口をついて出た。人名が覚えられないわたしとしては珍しいことである。氏はだいぶ頭頂部が涼しくなっておられたものの、細身の紺スーツに若やいだネクタイ、という往年の律儀な会社員イメージを失ってはおられなかった。勤めのかたわら現在は水墨画に打ち込んでいるという話である。健康で活躍されていることにおおきな再会のよろこびがあった。
菊池恩恵氏とはわたしたち夫婦の結婚式に顔をだしてくれて以来の再会だったから、もうかれこれ16年ぶり、ということになる。公家顔の氏は上品さのなかに精悍さが加わって言葉だけではない行動派のにおいを放っていた。歯科医療関係のソフト制作会社を経営するかたわら、近々講談社から古代アジアを舞台にした小説を上梓するという。いわさきちひろ美術館の松本猛氏との共著とのことであった。現代小説を得意としていた氏だったが、思い切った試みだと思う。
下村数枝さんと柳沢昌子さんはやはり30年来の友人で、同人誌の編集にも熱っぽくたずさわった過去がある。下村さんには昨年もきていただいた。1年ぶりの情報交換にもこころ急くものがある。長い小学校教師の勤めと、フラメンコダンサーとしての生活が現在もリアルなものとして続けられている。石原都政下の教育がいかに痛めつけられているか、それでも子どもたちに接することでおおきな力をもらう、と明るく笑っておられた。
柳沢さんとはこの間の時間の経過をあまり感じない。柳沢さんの容姿があまり変っていないということがいちばんの理由だ。つい最近も会っていたような、そんな気がするほどである。最近は写真はやっていないらしい。銀塩カメラもフィルムももはや過去のものになりつつある。我が家のかみさんは柳沢さんの写真と、添えられた短い文章のファンだった。それにしても、わたしたちは遠くへきたものと思う。

一昨年は100枚の短編を仕上げることができたが、昨年は中途で筆が折れた。年に一作、100枚を目標に書いていくつもりだった。今年は昨年の分と併せて200枚書かなければならない。なつかしいひとたちとの再会は、わたしにあらたな文学への意欲を掻き立ててくれる。(2008.1.18)

 小説に向かうとき@ 

 小説に向かうときA 
 小説に向かうときB 
 小説に向かうときC 

TOPにもどる

小説と詩のコーナーにもどる