◆◆◆ 小説に向かうときA ◆◆◆


 中里喜昭さんからメールがきた。新評論刊の百姓の川─球磨・川辺─ダムって、何だ』(2500円)の自己宣伝だという。おひさしぶりのメールであったが、あたらしいルポを刊行されたとあって、こちらも率直にうれしい。12月17日発行の「Yomiuri Weekly(週刊読売)」の書評欄にとりあげてある、というから早速近所の書店にとんでいった。井上陽水のキモ〜い顔が表紙なのですぐわかる。「今週の賛册」と銘打った書評欄のトップにとりあげてあった。評者は評論家の芹沢俊介氏である。「骨っぽい作者の骨っぽいルポルタージュだ」と始めて、「ダムとは、いったい何なのか。この問いを自分に向けて本格的に発しなければならないときがきている」と内容をくわしく紹介されている。中里さん、筆力健在ぶりをひさびさに天下にみせつけたようだ。

 有田芳生さんの公式サイトのうち「酔醒漫録」(12月4日)にも中里さんとこの本とが紹介してあるというから、そっちへもとんでみた。ここには有田さんと中里さんとの個人的なこころのつながりが隠さず記してあって、そのエピソードだけでも読む価値がある。
http://www.web-arita.com/sui12.html

 先日、有田さん出演の『ザ・ワイド』をたまたまみていたとき、D夫人という無気味な女性が登場して、有田さんに向かいとんでもない発言をしてのけた。「共産党員でいらして…」「統一協会やオウムを批判することなんかは、どなたにでもできることなんですよ」などなど。わたしはみていて驚くと同時にえらく不快になってしまった。ひとの立場を悪くしてやろう、という悪意がありありだったからである。そのうえに無知と無理解が重なっている。共産党に対する有田さんの態度はいまもっとも新鮮な視点と鋭さをもつこと、それはこころあるひとなら誰でも承知していることだし、いやしくも相手を批判しようと思う人間なら当然それとこころえておくべきことではないのか。有田さんのオウムや統一協会への危険で地を這うような取材を知らないというのはお可哀想なはなしだが。有田さんは終始おだやかな態度を崩さなかったが、あんな女性を利用し続けていたらTVというメディアはいつか視聴者から見放されてしまうのではないだろうか。                                (2000.12.10)

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