◆◆◆ 小説に向かうとき@ ◆◆◆


 尊敬していた作家は中里喜昭というひとで、最近はあまり文芸誌には書かないが、同人誌『葦牙』には新作を発表している。中里がどういう作家かというと…
 S・モーム、高村薫、椎名誠、矢作俊彦という4人の名前をキーワードに説明してみよう。あるとき、矢作俊彦が高村薫の新作に対して「人間の心理の発展が描けていない」とモームばりの批評をしていた。この批評はたしかに当たっていた。しかし、当の矢作の『あ・じゃぱん!』なんかはシーナ組の誠おやぶんしか評価しないような出来で、高村薫にしてみれば「おまえにいわれたかないよ」というところであった。もちろん高村薫はあらためてどうこういう必要もないくらいな作家である。だがことがらと平行して、イメージ豊かな人間群像を描くということに限っていえば、中里のようには成功していない。それどころか日本の大半の作家もそうだろう。
 中里の本はほとんどが絶版で読むとなると図書館にいくことになる。『仮のねむり』、『解かれゆく日日』ともに新日本出版社、『ふたたび歌え』、『自壊火山』、『与論(ゆんぬ)の末裔』筑摩書房などは興味があったら手にとられるといい。
 その中里喜昭のような小説を見習いたいと思って自分なりにもがいた。しかし、なすところなく今日にいたっている。ホームページの開設を契機に過去の作品を文字認識ソフトを使ってテキスト化した。けっこう数は書いているので順次発表していきたい。文体はぎくしゃくしているし、表現は硬いし、なんだこれは、といわれるかもしれない。だが、なにかを感じてくださるひとがいることを願いつつこのコーナーを続けたいと考えている。
 なお、矢作俊彦のために付け加えるが、わたしは大枚5.200円はらって『あ・じゃぱん!』上下2巻を買っている。その分くらいはいいたいことをいう資格はあると思う。
             (2000.10.15)

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