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◆◆◆ 小説に向かうときB ◆◆◆

24年つきあっている友人の藤川博樹が、自分の家族、特に癌死した母親をテーマとした作品を文芸サークルのミニコミ紙「ふみの会ニュース」に書き続けている。もう500枚くらいはいっているはずだ。私小説を書くと必ず良作をものするはず、とかねて思い、仲間たちと話もしたものだが、予想は当たった。まとまったところで文芸誌の主催する賞に応募するとか、なにかサークルの外へ広がるような方途が考えられないか、と思っている。現在は「母の闘病」というそのままのタイトルに連載ごとの副タイトルがつく、というスタイルだが、いずれ絞ったものにしていくことだろう。
ところで、友人がいい作品を書くと素直にうれしいこともあるけれど、翻って自分はどう作品つくりに関わるか、という点がおのずから問われてくる。まるっきりなまけているわけではないが、我ながらナマクラな状態なことは確かである。言い訳はごまんとある。なかで、たったひとつまともな言い訳があるとすれば、50歳を過ぎてから極端に集中力が落ちていることがあげられる。踏ん張りが効かない。しかし、これとて条件はみんな同じなのだからそうそう強調できはしない。暮らしの重さはそれぞれの人間の両の肩にどっかとのっている。

ところで、吸わないで吐くことはできない。
よい本を読み、よいものに接し、刺激を受け、思索を深め、内なる表現のたかまりを待つ。
そんなことを考えているうちに、おっと驚く刺激的な本に出くわした。読み進むうち、過去の自分の思索に繋がっていくものがみえてきた。これはなんとかしなくちゃ、と思うようになっていた。
読書ノート『男性支配の起源と歴史』をHP公開するのもそんな背景がある。(2002.11.23)

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