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◆◆◆ 小説に向かうときC ◆◆◆

友人の菊池恩恵氏から「布川(ふかわ)事件」の最新レポートが贈られてきた。
布川事件は1967年に茨城県で起きた強盗殺人事件だが、当時20歳と21歳の青年が物証のないまま逮捕され、無期懲役刑となり、仮釈放されるまで29年の獄中生活を送った、というものである。菊池氏のレポートを掲載したのは岩波書店発行の総合誌『世界』`03・12月号で、『布川事件・再審の扉は開くか』と題され、事件に潜む数々の謎をていねいに取り上げて、警察、検察、裁判所の自白偏重の姿勢に科学的な批判を加えている。最近でも続くえん罪事件や、警察の捜査サボタージュ、誤認逮捕などショッキングな例はあげるにいとまがないが、言論の側でこれを持続的に追求していくというのは至難の技というべきだろう。こういう当たり前の言論活動に対してもいろいろに根に持つひとは多く、さまざまな有形無形の圧力といやがらせが起きるようだからだ。まして相手は強権力を持つ警察である。それを思えば、氏の覚悟のほどがわかる。玄人はだしの版画家でもある菊池氏の賀状は毎年たのしみなものだが、今年は添えられた「本気でやるか、覚悟はあるか、問われる2004年」という一文に氏のなみなみならぬ決意のほどをみた。
少し話は変わるが、最近、東京都教育委員会が都内の養護学校や小中学校の性教育に乱暴に介入し、異例の処分を連発して関係者の仕事と生活にいちじるしい被害を与えている。強権をもって「性教育はやめろ」というのである。火のないところに煙りをたてるサンケイ新聞社がことをあおりたてているようだ。まるでナチスのユダヤ人いじめみたいなことを、いやしくも教育行政にたずさわるものがなんで…と思われるかもしれないが石原都知事のような人間が行政の長にいると教育の場における科学は敵視される。そもそも石原という人間じたい性的には放縦で、その感性たるやスノッブの一語につきるのに、他人には性的な純潔性を要求しようとでもいうのだろうか。世界的な原理主義の流れが元になっているのは明らかだが、性的役割分担を否定するひとたちに共産主義のレッテルを貼って攻撃するという、じつに汚いやり方でもある。
文学はものごとを考えて考え抜く過程を含む。その意味では現代を生き、表現する上での与えられた課題はことのほか重い。(2004.1.4)
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