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「今は昔」 Work harder (ワークハーダー) Read more (リード モア) もっと働け、もっと読め、なつかしい此の校訓の元に5年間、良く頑張った。頑張るという言葉は当時も今も好きではない。 しかし非常時である。まわりの外国は敵であった。国家は戦っていた。常に真剣と緊張の連続でピーンと張りつめ、デレデレと笑っている時代ではなかった。箸が転んでも笑うとか格別に笑い転げた様な記憶は薄い。母から「あんたは顔は笑っても眼が笑っていない」と言われて面喰らった。私は他人と違っているか知ら、と思ったもので有る。 本科終了の修学旅行は阿蘇登山を含む一泊二日の行程で、当時の校長先生は杵島郡教育会頭であられ、厳格な山口明知先生で有った。朝4時家を出て、その日の内に坊中駅から阿蘇中岳に登る。勿論徒歩である。 ハードスケジュールで、翌日帰り着いたのは夜の9時頃になっていた。肥前山口には其の校長先生が出迎えておられたのである。しかも満面の笑みで。その笑顔は初めて見る人間の温顔であった。 「唯今帰りました」と挨拶をする私に「おうおうお帰り」と、やさしい声に、思いがけなかっただけに感激したのを、今でも鮮明に思い出す。 それから研究科に進み卒業、県庁に奉職。佐賀駅から庁舎まで、ぞろぞろ通勤する人込みの中を、わき目も振らず歩く私を、 |
「釦とめて下さる」 骨病みの暇は有りません後始末終わるまではと笑いの電話 佐用姫の跡をたずねて集い寄る松吹く風の今日は冷えつつ 親友の死を見届けて今頃は葬儀の時と眼をつぶりいる この次はなきと心に秘め持ちて歌会の席に孫と納まる 派遣村の短歌に一票を投ぜしをうつつに有りてとまどいいたり マイク持ちて駆け回る娘がお母さんと声かけし時われに還りぬ 難聴の最前列に席は決め「佐用姫」の講師に花束(はな)奉る 斯くばかり狭手彦さんは慕われて男冥利に尽きると言わん 執念の石となるまで佐用姫の思い激しく領布振りし山 砂浜を娘と歩みゆく満ち潮の波の彼方に城が見え来る 白晒れし小指の爪程の貝殻を今日の記念と砂浜に掘る 頂は冷えますと君はさりげなくコートの釦とめて下さる 手を取りて又会いましょうの挨拶は働く人の手と交(かた)みに言いて いたわりの熱き思いに囲まれて生きていて良かったはこういう事と 足許に注ぐ視線を大丈夫よ先に答える足なえの吾の ふたたびは会えぬと思う遥々と姪よアメリカに帰りてのちは アメリカに帰りゆく姪がサヨナラと抱きつきて来ぬ別れ難くて 子猫等がじゃれ合う陽向わが子等も斯かる時ありき泣きつ笑いつ 乳首を口にぐっすり眠りいる微笑ましきは親も子猫も (2009・9・15)※短歌誌『夜行列車』第141号より転載。 |
蒲原徳子エッセイ(1) 中の御衣装はボロばかり、嫁の心は綾錦ナョー…私たち悪ガキ共を先頭に近所の大人も集まってくる。豊かなやりとりがあって、父は自分の持ち歌でなるべく行列を引き止める。担いできた男衆は息杖で荷物を差さえ、時の間肩を休めることができ、酒も振る舞われて元気付き、「ヤロウ、ヤロウ」の掛け声で走っていく。 わが父の呼び掛けである。その時の返歌がふるっている。 関所番所は昔のことよ うまく逃げられて仕舞った。思いがけない逆襲だったのに、父はそれでも満足そうな顔であった。 今日は日も吉し天気もよいし この場合、うまく受取らねば行列は引き返し、荷物は持ち去られてしまう。それでは大変なので頓智のきく歌い手を雇っておくこともあったらしい。私宅のお隣にきた行列から、 今夜くる嫁まだ年若な このとき結婚する若いふたりをよく知っていた私は、聞いていて感動に胸がつまった。もう随分前の思い出である。今はそんな悠長な時代ではなく、荷物はトラックが1週間も前に運んでくれる。 |
蒲原徳子エッセイ(2) 死んだもの貧乏 |
■蒲原徳子歌集 夫(つま)恋 (98年5月) 吹雪く夜の街角に飲みしサモワルの味忘れぬと輝きて夫 降り積みし樹木の白雪窓開けて夫が朝湯に和むひととき 掌に握る珠悉く砕けゆく意識うするる夫の枕辺 ほとばしる涙は拭かず意識なき夫ゆさぶりて呼べど声なく 大寒に蕗の薹次々見つけたり寡黙の夫のふっと恋しき 桜桃の花盛りにて早春の人亡き庭も染めて明るき 黒文字を手折りて昼餉の箸とせり風やや冷えて春の山行 長き夜の明けしと迷い起き出でぬ月しらじらと庭の恋猫 夫恋(ニ) (98年6月) いと小さき仏壇に夫を生らせてわれも側へに永久に寄り添う 好む孤独の味やわびしと書きつづり轟く夜の春雷にいる 老木の山桜恋い竹林の入り口にして霧の音きく 村の名も知らず訪ひ来て咲き満てる「桜の里」の花の香に酔う 陶芸に心寄り合う四人連れ今花かげの昼餉はうまし 老父母をいたわりて車より降ろしいる中年夫婦の花見のむしろ ひた走る高速正面清浄の衣をまとい浮ぶ白富士 若後家が二頭の番犬月に吠え覚めて眠れず夜の長きに 無題 (98年5月) 杉木立小暗きを抜け息づきて深山華蔓の群落に会う 高いびき途切れしと覚め無呼吸の秒読みの間に冬のこうろぎ 往復の鼾かきつつ安んじて傍らに眠る古妻のわれ 夫亡しに眠り難き夜のつづくとき彼の高いびき恋しくもある 夕食のおかずはと問う千葉に住む白六郎が声のやさしき 献立は鯛の刺身に小豆ままと少しおどけて一人のくらし 雲低く這う炭住に住み古りぬ今年も凛とざくろは赤く テーブルに月下美人を咲かしめて一人の夜のおごり儚なし 猛火 (98年6月) 殺戮の猛火吹き荒れ片面にヤケドを負いし馬がさまよう 飼主は亡きか巨体をふらつかせ馬は悲しき眼していき 被爆長崎の地獄図は脳裏に灼きつきて五十年尚消ゆる事なし 鳶と烏腐肉覆いてむさぼりし彼等には異状なかりしや否や 動物の焼ける異腐臭かき分けて義兄を姉をと探す無防備に 身を寄せむ片隅もなく原子野に激しき夕立の去るを待つのみ 鉄骨のみの階段昇り医大の広き部屋人は次々息絶えてゆく 医大の部屋アロエを水をオカアサン断末魔の声細りゆき止む 猛火(ニ) (98年8月) アロエ直届きますよと言いやればうなづきてのち静かになりぬ 炎天下の外庭に頭並べある骸には早人権はなし 覗きこみ顔確かめてゆくにさえ冒涜の念我をさいなむ 性別も分かぬ遺体に合掌のわれの仕草は白々しきか 雁爪に防空壕を掘り当てぬ布団をかつぎ蒸焼きの姪等 炭化せる僥骨一本尚熱し鉄帽に納め胸に抱きぬ 頭蓋骨つるりと傷なし幸うすき瓜実顔の中三の姪 頭蓋骨は中三の姪のもの祖父の墓に合祀せしまま訪う事もなく 金いろの露 (98年9月) 網戸より匂うと出でし門先に枝もたわわな夜来香の花 家をゆすり風雨は夜を駈け抜けて庭の榊に残す露つゆ 気圧の谷通りし庭の冬ざれに彩り添えて露のきらめく 一票につなげと祈る心こめ宛名は書きぬ見知らぬ人に 小春日の新築現場はひる休み音立てて燃ゆ桧の青葉 木々の葉の彩り深く旅心頻りに誘う夫はあらぬに 朝倉の三連水車訪ないし日は秋晴れなりき夫も若くて よそゆきも野良着も同じいでたちに馴れて久しき生計なりけり 風あたたかき (98年10月) 子に孫に手を引かれつつ降り立ちて那覇空港の風に吹かるる 雪しまく八幡を発ちて沖縄の闇より届くあたたかき風 強引に誘われて来し沖縄の守礼の末裔のものいゝやさしく 思いやり予算を増やし忠誠を誓う総理の国籍を問う 金網は傍若無人に尽くるなし車走らせ行けども行けども 地主さえ寄るを許さぬ沖縄の金網は高く光る冷たく 四億の血税になる格納庫敗戦のつけ限りもあらず アメリカの兵の軍靴がふみしめし農地は農地の役目忘るる レッドパージ (98年11月) 蒲原の首を切りしは誤りと所長自ら洩らすひとこと 採炭夫の弱き立場はあやまりて切られし首と知るよしもなく 採炭夫の夫表彰の一文は裁判記録に残りいるべし 企業ぐるみ偽証して職場追放せり司法は遂に偽証罪を問わず 国内の隅々までも吹き荒れしレッドパージは日経連の策謀 良識は勝つ裁判と信じたり地裁高裁最高裁まで 裁判費用捻出すると乳飲児をあずけて我も土工の一夏 土工われ雨の休みは手を抜かぬ晴れ着仕立を頼まれ縫いき 祐輔よ (98年12月) むこ殿も吾も無言に待つよりなし観音経を胸に誦し待つ 霜月の冷え著し朝焼け産院の待合室にひびく産声 救急医院のエレベーターに登り来て呱々の声高し天衣無縫に 第一子と十年を経て生れし子の口一文字に眉秀でたる 産むと決めし娘の勇気称え待ち掃除婦までも祝詞述べくる 有能の医師連携の甲斐ありて四キロに近き男の子生れ出ず 五指に入る高齢産とナース語り涙ぐみたり傘寿のわれも 手足振り勝鬨挙げおり産院の待合室に笑いこぼるゝ 義妹よ (99年1月) 霜光る麦田を久に見呆けつつ遺体に会はむ旅に発つ朝 混迷の霧晴れてゆく思いして君が遺体に真向かわんとす 悔むなく奔放に生きわが腕に抱かるゝは深き縁ありしか かえり見れば一センチの段差勢い良く両手を伸ばし転び伏しいる 達磨さんが転んだーと告げぬ転びしは彼の愛嬌あるだるまさんならず 転倒の朝を清掃奉仕せり痛みは徐々に夕暮れてより 両足が吾を支える力なし自然の治癒力を恃むと言えど それぞれの趣向をこらし三食の差入れありて飢えずすごしき 認めたくなく (99年2月) 差し入れの熱き丼抱えしが涙ボトボト落ちしと笑う 両膝の痛み薄らぐに立てざるは両足首も捻挫して居き 上半身折り曲げそろそろ伝いゆく遥か十二メートル二十分かけて 山桃の枝越しの月に見られおりトイレに通う無惨の姿 見舞に来てお年だからと人去れば腹立てており認めたくなく フリージアが枯草の中に立ち上る緑の美しと他見せしのみ あさっては縄跳びするとうそぶいてリハビリドクターわれを叱咤す 独老とは他人事として過ぎ来しが心弱りぬ足痛めてより 義妹よ(ニ) (99年3月) 夫を慕い我を慕いし年上の義妹逝けり長病みもせず 子も生さず自由に生きて世の中の尺子定規はものともせずに 意地悪な小姑でなし生涯を気前良く騙し騙され終る 夫に似て穏やかな義妹の死顔を見せられてわが思いは軽し 酒が好き男が好きと憚らず言いし義妹花札も好き もう男は要らぬ六十歳(とし)になりましたと言いしが若きツバメがいたり 八十一歳義妹の終焉に付添いて畏まりおるこれがツバメか 記念にと得たる指輪を小指にし火葬のスイッチ押してくれたり |
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