その4,茅ヶ崎銘品『かっぱどっくり』

神奈川県にこんなお菓子、というか、お汁粉なんだけど、こんなゆかいなインスタントお汁粉があるとは、あー知らなんだ。
銘仙の柄を思わすような優れたデザインの箱をあけると、端正に包装された包みがでてくる。そこからでてくるのがカッパを刻んだとっくり。これを椀のなかにおいて、熱湯をかける。そうすると熱あつのお汁粉が簡単にできあがるというわけ。といっても並のインスタント製品とはわけがちがう。味がちがう。遊び心がちがう。まずもって小豆の香りからして馥郁とし、甘い香りも砂糖の質のよさを感じさせる。箸でとっくりをほぐしていくと、あらめでたやな紅白のアヒルちゃんがまろびでてくるではないか。この段階で我が家の娘どもは大歓声だ。しこうして、ひとくちすすれば、まあなんと上品な甘さであることか。カップ汁粉の味にブーイングする娘たちが夢中になる味なのだった。

この未知の銘品を送ってくださったのは、茅ヶ崎在の奈良岡嘉治・貴美子夫妻である。おふたりとは2004年の秋に知りあったのだが、それから5年もたつのに、この間、お目にかかったのはわずかに2回だけなのだ。それなのに、ふしぎな縁で交流が続いている。じつは、知り合うきっかけになったのは、「YOKOHAMA FOOD4」というアマチュアミュージシャンのコンテストの場で、わたしはたまたま奥さんの貴美子さんと前後した座席に座っていた。そして夫君の嘉治氏(田中太郎という芸名ででていたが)その演奏をみることになったわけだった。わたしは田中太郎のパワフルな歌と歌心にがつんと打たれた。自分もまあ愛敬ででていたわけなのだが、演奏はどちらかというとあせって失敗していて、自分のことより、よいミュージシャンを知ろう、という気持ちが強かった。そこに田中太郎ミュージックはぴたりとはまってくれたわけだった。結果的にわたしは決勝に進めず、田中太郎は決勝大会に進むことになる。

さて、田中太郎はその後3年連続でセミファイナル出場という尋常ならざる業をみせてくれるのだが、前述したようにわたしたちは実際にあうことがなかったので、かれ田中太郎の歌はじつはもらったCDで聴いていた。その手作りCDにはかれのオリジナルソングが納められていて、わたしはかみさんといっしょにずいぶん楽しませてもらったものだ。歳月というやつは駆け足で過ぎ、あれから奈良岡夫妻は双児のあかちゃんをさずかり、もはや子育てはかれらの暮らしの中心になっているもよう。同じ神奈川県の海側と山側の対照的な土地に住むわたしたちであるが、わたしは秋が深まってくると家のまわりの木の実などを集めて潮騒のまちへ送ることがなんとなく続いている。もとより貧乏所帯なので何ほどもできず、ただ、自然の恵みのお裾分けをするだけだ。お返し無用とうたうのだが、律儀なひとたちからこうして海老で鯛を釣るような上等の品物が舞い込んできたというわけだった。(2009.2.16)

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