▲ザルに山盛りの茗荷もこのとおり。

その3、茗荷の紅酢漬け
丸まると太ったみごとな茗荷。どう料理してもまずくなりようがない。
地元藤野は牧野(まぎの)にお住まいの自然素材を使うクラフト作家さとうますよさんとはもうかれこれ7年くらいのつきあいになる。わたしが都心のデザイン関係の仕事をやめて、地元で郷土玩具を作りはじめていらいの交友というわけだが、ただそれだけではなくて、いろいろな意味でお世話になっているということがある。
まず第一に、地元のアーティストやクラフトマン、クラフトウーマンたちとの交流に誘ってくれたのがますよさんだったのである。当時は藤野台団地に住んでいて、たまたまとなりがドライフラワーアレンジメントの
金沢久子さんであり、彼女の友人がますよさんだった。そんなわけで、わたしはすんなりと地元のものを創るひとたちのなかへはいっていくことができたわけである。この町のひとたちからはゲイジュツカなんて呼ばれて変わり者扱いされている人間集団のなかにあって、ますよさんは生活者の視点を失わないコモンセンスの持ち主だった。
先日、所用で訪れたますよさんのお宅のまえに新聞紙が広げてあって、そこには肥えた茗荷がたくさん収穫してあった。わたしは用事を片付けるまえに、この立派な野の幸に目が離せなくなった。すると、ますよさんは素早くそれと察して、「持っていっていいわよ」と声をかけてくれたのである。まあ、そうでもいわないと強奪しかねない、とでも判断したのではないか。それほどわたしの目は釘付けだったというわけだ。
ここで用事を済ませて家にもどってみると、九州から宅配便が届いている。長女の誕生祝いにと母とわたしの妹から心尽くしのものが届けられたのだった。あけてみるとなかからビニール袋いっぱいの茗荷がでてきた。北九州の妹の家は市の風致地区にあり、裏山は竹林で今年の庭は茗荷だらけ、という。そこからお裾分けが飛んできたというわけである。うれしい悲鳴というやつだった。
茗荷はなにより新鮮なものを手早く料理したものがうまい。そういう意味では保存にまわすよりは時間をおかないで料理にかかったほうがよい。それはそうなのだが、さて、この量である。わたしはちょっと考えたが、ピクルスにすることを思い付いた。そこでまず茗荷をザルに均等に並べ、上から熱湯をかけて活性を止めた。そして冷水にとり、今度はステンのザルに移して水きりした。それから空き瓶を用意して水きりした茗荷をそれぞれの瓶にぎゅうぎゅうに詰め込む。砂糖と純米酢、それに白梅酢をミックスして瓶の口まで注いだ。このままだと茗荷の美しい色が酢に溶けて退色してしまうので、庭に生えている紫蘇の葉をちぎってきて塩揉みし、茗荷の上においてから瓶のふたをしめた。
こうやって保存しておくと、なにかと便利だ。生の茗荷の足の早さを気にかけることもない。いろいろに応用できるが、茗荷の嫌いなわが家の子どもたちが唯一歓迎するのがおにぎりにすることだ。細かく刻んで、おかかなどとごはんに混ぜこむ。そしておにぎりにすると茗荷の色合いが生きて香りもよく、魔力の3角形と相まって子どものよろこぶメニューになる。
ますよさんとは町営の「やまなみ温泉」に音楽家のガイネさんと3人共同で作品を提供している。この世話係も彼女に引き受けてもらっている。先日の所用というのもそれに関わることだった。日頃お世話になっている、というのはまさにこういうことなのだ。
ますよさん、あのいただいた茗荷は、まだまだわが家の食卓を楽しませてくれそうですよ。
  (2005.10.10)

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