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フィールドノート(26)
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 2008.12.30
  

 ■季節の最後の贈り物■
木立はすべて葉を落とし、林床は枯れ葉の海。そこに倒木上の苔の緑がうつくしい。
ともに同じ植物。ナニワズではないか?
もうキノコの姿もなく、かさこそと足元の枯葉の音のみにぎやかな雑木林。でもよく目をこらすとちいさな生命が息づいているんですね。アクニオイタケの仲間だと思われるキノコ。そしてハコネリンドウ。

まさか家から100mも離れていないようなところに、こんな巨大なクリタケが、しかもごっそり、なおかつ11月も終わろうかというころに生えているとは予想もしなかった。クリタケは毎年でるものだから、この10年あまり、わたしは素晴らしい獲物をみすみす見逃していたことになる。なんといううかつさ。目配りの効かなさ。自然の奥深さへの配慮の薄さ。自分の頭を思わずぽかぽかやりたくなってしまった。みれば大きいものは、その傘径ゆうに13センチはある。(左の写真で、筆柿と大きさを比べてみてください)手にとってみてもずしっとして手ごたえ充分。傘裏はまだ胞子の熟す前で白い。まさにジャストタイミングで採集された山の幸である。料理は万能の応用範囲を持つ。しかし、スープがよいので半分を煮物に使い、残りを鍋に応用した。とにかく、じつにこくのあるダシがでる。豚肉との相性のよさはハタケシメジに劣らないように思えた。そのうえ、傘と茎の歯ごたえがはっきりとちがっていて、食感を楽しめる。煮物も鍋も全体にふくよかな香りに包まれて、食卓をいやがうえにも引き立ててくれた。歩み去る季節の最後の贈り物としてはこの上ないほどの貴重なものだった。
さて、この季節の最後の贈り物はこれだけではなかったのである。12月にはいって、第1週を過ぎたころ、なんと庭に積んでいた桑の木にヒラタケが生えたのだ。それも肉質のしっかりした、香りのよい優れた株だった。



この桑の木には春にはアラゲキクラゲとキクラゲがいっぺんに生えた。条件さえよければ、自然は力の限り我々に恩恵をもたらしてくれる。これを感謝しないでどうする、と思う。

この庭には10月に物置きを建てている。そのとき、ハクビシンの子供がなぜかそばで死んでいた。死因不明。防腐剤入りの塗料が悪かったのか、と思ったりした。畑に深く埋めてコンクリートブロックや倒木をのせておいたが、イノシシにほじくりかえされて食べられてしまった。鳥インフルエンザも疑ったが、どうだったのか。

◆◆◆思い出しスナップ◆◆◆
梅雨のころ、畑にでていたコムラサキシメジ。ちょっとした収穫で、気の効いた小鉢の素材としてうってつけ。なにしろおいしい。

アミガサタケ。アシブトアミガサタケだと思われる。

これは5月のおわりころ採集したもの。ふつう桜の咲くころにお目にかかるが、例外もあるわけだ。最近は1ケ所で10本以上採ったことがない。これが群生するところをみたいのだが。

上の写真は左がカノシタ、右はコウタケ。どちらも名倉のシゲちゃんが採ってきてくれたもの。秋は仕事が忙しくてなかなか山に入れず、ため息ばかりついていたが、こういう差し入れがあると頬がゆるんでしまう。シゲちゃんはコウタケをアルミホイルで包み焼きにして食べたそうだ。わたしは網で焼いて醤油をひと垂らしして食べた。藤野のコウタケはアクがなく、すんなり口に納る。食べた感じはカラカサタケの傘を網焼きにしたときみたいな味と食感だった。

オニシバリの目にも鮮やかな実。食用にならない、という。朱は危険のサインということになる。としたら人間意外のどんな捕食者がいるのだろう?虫たちだろうか。

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