第8回やつがしらいもずいもの」


やつがしらと柚子。このほかの材料は味噌だけ。

吉野にお住いの三宅節子さんは、各種の著書をお持ちの著述家で元藤野町議会議員。ながく藤野の行政に民主主義的な貢献をされた方である。議員を引退されたいまでも小泉内閣のすすめる平成の大愚行といわれる市町村合併の強制などには断固として反対され、各種の提言とその積極的な行動には町内各層にファンが多い。
さて、その三宅さんのお宅に某日お呼ばれされて、わたしは
「いもずいもの」なるものを馳走になるのである。芋の吸い物であるからしていもずいもの、とはストレートな名であるが、どうして、これが思いもかけないうまさなのだった。
その日は節子さんのパートナーで著名な山岳写真家の三宅修さんも同席され、じつはおふたりの人柄からくる滋味あふれるお話を耳にしながらの「いもずいもの」がいかにうまかったか、は今さら筆にはつくせそうもない。ただいえることは、自分がこの上なくゆったりと贅沢な時間を過ごした、ということだろうか。
藤野には農産物の直売所があちこちにある。注意してみているとそこには見なれた野菜にまじって、都市生活者にとっていわば未知の素材がさりげなくおいてあったりする。藤野に限らず、都市近郊にはそんな場がハイキングの途上には多くみかけられるものである。休日などにふらりと立ち寄ったときは、売り場の日焼けしたとっつあんたちに遠慮なく声をかけて食べ方なんかを聞いてみるとよい。親切に教えてくれるものだ。わたしは芋柄のおいしい食べ方をそこで教わったし、青菜の上手な漬け方も教えてもらった。それらはおいおいこのコーナーで披露するとして、今回は「いもずいもの」である。素材はやつがしらということになる。
そもそもやつがしらは藤野ではあまり作られていなかったらしい。量産が効かず、芋類といってもどちらかというと贅沢なたべものであったようなのだ。
「いもずいもの」は土地の富裕層のそのまた1部のひとたちにしか食べられていなかったという事実がある。それはこの料理が郷土料理の研究書や解説書には今のところ出てきていないという事情を裏書きする。有名な「おたらし」などとちがって、一般的ではなかったわけだ。
やつがしらはよく洗って、皮付きのまま、お椀にはいるおおきさに切り、かぶるくらいの湯で茹でる。わが家にはシャトルがあるので鍋がたぎったらそのままケースにほうりこんで1時間ばかり放置しておく。これは鍋がはいる段ボール箱と新聞紙があればかんたんに代用できる。気密性に多少劣るとしても効果はそんなに変らず省エネ保障付き。
やつがしらに竹串を刺してみて、火の通りをみてみる。だいたいすっと通るだろう。そしたらふたたび火にかける。味噌をスープに溶き入れて、そのままやや煮込むのである。そうすると皮がほぐれやすくなるのだ。
お気付きの通り、この場合ダシをとっていない。なんと芋の皮から、えもいわれないダシが出ているのだ。これには試された方はびっくりされるだろう。そして、
やつがしらを皮付きのまま使うという、この料理のポイントをはっきりと理解いただけると思う。野菜類のダシの効果についていえば、戦時中、もののなかったころ、大根葉などをまるめてしばって天日に干しておき、それらをすいとんやふすまうどんのダシ代わりにした、といった話をよく聞く。わが家の大家さんのおばあちゃんは84歳で、近くにお住まいだが、この手の話はじつに記憶がたしかで、いきいきとして話をされ、教えられることが多いのでたまにありがたく拝聴している。

 椀にやつがしらを入れて、スープを張り、柚子皮の千切りを散らす。食べるときは箸で皮をほぐす。白いやつがしらの身がほくほくとあたたかく、思わず頬がゆるむ。 
スープをいただいてみて、物足りないな、と思われる方は多いかも知れない。そこでただちに味の素などをふりかけてしまったら、この料理は台無しになる。すこし根気よく味を聞いてやってほしい。里芋とかクワイとか、同じタロイモ系の味でももう一段上品な、なめらかな舌触りと、ぬめりよりもほっこりした栗とか菱(ひし)とかに共通する粉っぽい味わい。ここらへんの絶妙さが味わいどころだ。
さて、話を戻すと、三宅さんのお宅では話題の中心はもっぱら地元の自然とひととの関わりになる。おふたりはながい経験とゆたかな知識とをともに備えておられるので、なにを話されても興味深い内容になるが、自分たちの足元の自然がおびやかされる事態にはよりいっそう敏感で、特に生藤山に築かれようとしている「1万段階段建設」を巡っては心の底からの危惧を隠されることがなかった。おふたりのような先達に安心していただけるような方法をわたしなどが率先して捜すべきなのだろうが、不覚にも毎度のごとく、ただぱくぱくと食べ続けている体たらくであった。(2005.2.10)

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