第6回スベリヒユ胡麻酢びたし」


数年まえの夏のことだ。わたしは当時、山梨県との境にある135世帯ほどの団地に住んでいた。自治会の役員の任務が持ち回りでやってきていて、その日は夏祭りの支度をしていた。暑い日曜日のこと、休憩時に缶ジュースなんかを飲みながら役員どうし四方山話をする。このとき、団地の長老のKさんがとつぜん、「昨日の夕方、団地の花壇でなにしてたの?」とわたしに訊ねてきた。「なんか採ってたじゃない」と続ける。わたしは自分が何を聞かれているのか、やっと思い出していた。
栄養のいい花壇の土に、りっぱなスベリヒユが株をひろげていたので、2、3株失敬し、ゆでてから酢みそあえにして焼酎のツマミにしていたのである。
「スベリヒユって…あんなもん喰えるの?」
わたしの応えを耳にした座の男たちは、いちように、呆れたような、ふしぎなような顔になっていた。
わたしは調理方法をざっと説明する。だが、みんなの表情に納得したような色はなかった。
そこでわたしは、ちょっとしたサービス精神を発揮することにした。
「あれ、効くんですよ。ヌルヌルが、ほら、山芋とか、納豆とか、ナメコとかさ、同じように…」
すると、がぜん座がいろめきたった。
太ったスベリヒユ。中世には食用として栽培された記録があるとか。
無理もない、というか、顔ぶれをみれば一目瞭然、みんな4、50歳代の少しょうくたびれたおっさんたちががん首を揃えているわけだから。
「ほんとかよ、おれ、喰ってみっかなあ」
「どうやって喰うか、も一回いって」
「よせよ、かみさんに嫌がられっぞ」
そこに先のKさんが追い討ちをかけた。
片手をぱっとひらいて、指ごとに講釈していく。
「親指は20代30代だ。人さし指が40代、がくっとくんからな、50代が中指でもって、60、70になりゃあ、おれなんかもそうだけど、この通りよ」
みんな昼下がりにおおわらいだ。
「あんたらまだ若けえんだから週1回はいってもらわねえとなあ…」
ところで、わたしのしゃべったことであるが、もちろんのこと、ほとんどデタラメである。
かつて利用されていたものが時を経て見捨てられていく。人間のご都合主義がまず問題になるだろうが、ここはひとつ過去を見直すのも一興。洗って笊に置けば、なかなかつやつやして美形ではないか。

もうちょっと見栄えよくしてから写真に撮ってやるべきだった。生みの親としてうかつであった。だが、くりかえすけれども、うまいのである。毎晩喰おうとは思わないにしても、この季節なら週に一回くらいは食卓をにぎわせてもいいと考える。清涼感もあり、油濃い料理と相性がいい。  
さて、料理だが、材料のスベリヒユに関しては説明も不要だろう。都会だろうが田舎だろうが、道路っぱた、公園のすみ、庭先、と何処にでも生えている。除草剤や廃油の汚染のない土であることを、よくよく確かめてから、引き抜いてくればよい。湯を湧かし、茎の太い部分から茹でていく。みるまに色があざやかになる。流水にとって冷やす。水気を絞るとぬめりがでる。口にすれば酸味のあることが判る。
タレは酢味噌をベースに、出し汁で伸ばして半ずりの胡麻をふる。もっぱら大人しか食べない、というのであれば、辛子を加えてぴりっとさせるのもいい。
今回はあんまりうまそうには出来あがらなかった。しかし、みかけによらずうまいものである。
なんでもそうだが、喰った人間にしか味は判らない。
ひとつ、つけ加えよう。「ほとんどデタラメ」と書いたが、まるっきり効かないわけではない。(と、思う)こういうのはもっぱら気の持ちようだから、効くと思えば効く可能性がなくはない、のである。まあ、だまされたと思って試してみてはいかがですか、ご同輩。味はわるくないですから。     (2004.8.17)

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