第5回葉唐辛子(はとうがらし)


ある日、スーパーの野菜売り場を通りかかったとき他の野菜とはひといろちがう濃い緑の葉が目にはいった。時期は、もう9月も1週目がおわりかけているころである。それが葉とうがらしであることは一目で判った。わたしはこの葉野菜に文字どおり目がないのである。それこそ心の奥底で1年間待ち焦がれていたわたしにとっての蒼い恋人であったわけだ。
値段をみて驚いた。ひと束がわずか70円だとある。葉をむしって料理するので、かさ減りすることを考えても、5人家族の夕食の菜に2束もあれば充分である。わたしはためらわずこれをレジに運んだ。すると、背後で男の激した声がする。「こりゃ70円じゃねえぞ!だれが値段つけたんだ」
しばし責任者と売り子さんたちとのやり取りがつづく。わたしは平気な風をよそおう。
葉とうがらし。濃い緑がすてきだ。
レジの中年女性はいっしゅん迷った気配もあったが、すぐに勘定を済ませてくれた。70円はたしかに安すぎる。どうみても地場のものだし、傷みが早いのでなかなか流通ルートに乗らないということがある。てなわけで、はは、もうけた、という感じ。
これで
2種類の「料理」ができる。
売り場のおっさんも、まさか合計140円でわたしがこんな料理を展開するとは想像もしないだろう。よく付けたもんだよ、1束70円。感謝してるぜ!
さあ、まず最初の料理に取りかかろう。
下ごしらえはモロヘイヤなんかと同じく、枝から葉をむしりとる。長い茎もちぎるひとがいるが、ここは残しておかないと全体にかさが減りすぎるし、手間だ。それに葉とは味がちがうので、残した方がいい。
枝から葉を根気よくむしりとる。茎はつけたままにしておく。

強火で一気に炒めていく。  
これからこさえるのは、葉とうがらしと豚バラ肉とを炒めあわせた『南風炒(なんぷうじゃん)である。材料は豚バラ肉のかたまりと、葉とうがらしに塩とニンニク醤油だけである。豚バラ肉は脂身と赤身を切り離し、どちらも細かく切る。中華鍋を熱して煙りがたつか、というころ脂身を放り込んで、ひと炒めしてから赤身を追加する。一通り熱がまわったら塩をふたつまみほど入れてかきまわす。次いで葉とうがらしを投入。どんどんかさは減っていくから底の方からうまくひっくり返していく。
全体にしんなりしてきたところでニンンク醤油をまわしかける。それからさっと炒めてできあがりである。なお、ニンニク醤油はあらかじめ作っておくとよい。醤油の小瓶にニンニクの小片を5、6枚入れておくだけだ。
「南風炒」のできあがり。器は大分県在住の陶芸家・大野史郎氏のものである。


葉のあいだにのぞく青いこしょう。  
さてこれから2番目の「料理」にかかる。といっても、そのまま口にするものではなくて、じつは「青ゆずこしょう」を作るのである。
柚子胡椒といえば、わたしの子ども時代に九州では高価なワサビに替えて一般にひろく用いられていた。赤と青があり、それぞれ持ち味がちがう。赤は熟した赤唐辛子と黄色く熟した柚子を使って作る。うどんなどに添えると味が引き立つ。青は未熟な青い唐辛子とこれまた青い柚子を使うが、刺身、とりわけ冷凍鯨の刺身に抜群の相性を示す。
まあ、いまさら鯨でもないので、どちらかというと赤身の魚の刺身や揚げ物、そうめん、そばの薬味に添えて、といった使い方が考えられるだろう。


子どものチンポコみたいな青とうがらしの可愛さ。みかけはともかくけっこう辛い。注意しながら出刃包丁で細かく切っていく。種が飛んで目に入ったりすると悲惨だ。そこを手でこすったりしたら手にも唐辛子が付いているからなおさらひどいことになる。(経験者は語る)ともかくなるだけちいさくなるまで切っていく。これは青柚子の方も同じである。今回は量が少なく、唐辛子20本くらいに、柚子の皮2/3くらい。そこへ大匙2杯くらいの塩を投入して徹底的にする。九州では「練る」という。練って練って練りまくるのだ。
禅宗の坊さんみたいな心境になったところでできあがり。色もいい。以前これをイカのゲソフライの薬味に出したところ、客人はこれを集中的になめていたので驚いたことがある。アーティストたちの1品持ち寄りの集まりで、陶人形の高橋安子さんも「これだけでおいしい」といってくれた。ひょっとするとなにかよい使い道が他にもあるのかもしれない。


今宵の食卓。メインは葉とうがらしと豚バラ肉の南風炒だが、左にししとうのてんぷら、その上が栗きんとん(栗だけを梅ジャムと黒砂糖で煮たもの)、そして胡瓜の即席漬けである。これに麦ごはんと、沖縄の海草アーサーを浮かせたすまし汁がつく。

わが家の食卓はほぼこんな感じである。ほとんどが野菜であり、肉や魚は少量だ。子どもたちをスナック菓子やファーストフードの誘惑から守るのは容易なことではないので、せめて日常は和食の知恵を借りたい。
この日、子どもたちには愛媛みかんのジュースがあり、わたしにはいただきものの焼酎があった。熊本の『水鏡無私』である。これは地域の
小学校図書室ボランティアグループぶっくらぶのお母さんたちが転居の祝いにとくださったものである。さらさらと水のようなクセのない味わいで、わたしのように泡盛などのとろりとした焼酎を呑みなれたものには、あっというまに1升空きそうであり、自制しても3日でなくなりそうであった。かみさんは最近アルコールをたしなまないから、わたしがもっぱら呑む。せいぜい飲み過ぎには注意するとしよう。(2002.9.15)

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