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○おんがくエッセイ | CD『練監ブルース』ができるまで | ||
■50歳を過ぎてから、ひとさまのまえで本格的に自作曲を歌うようになった。といっても、地元の仲間たちとの酒席で、酔いにまかせてギターを爪弾きながら歌う、ということが大半である。そうこうしているうちに還暦なんてもんが迫ってきた。やれやれ、いっぱし歳喰っちゃったな、CDでも作るか、ということになった。電気の専門家でプロ級のミュージシャンでもある名倉のシゲちゃんに相談する。録音には旧知の写真家・岳ちゃんも参加してくれた。音楽への熱い思いを胸に秘めて、ときおり怒濤のように噴出するふたりである。感謝多謝。こうして、ひとをちっとも励ますことのないワタクシのヘタクソな歌が、めでたくもCD固定化されたわけでした。 ■地元の夏祭りに自治会の役員として加わった。子供御輿の担当だったが、その他にも雑用が山のようにあって忙しかった。しかし、それも無事に終わってほっとしている。かえりみると、町内の各所で続けられている囃子の連が今回は4ケ所から集結して壮観だった。御輿の競演もあり、さして広くもない神社の境内が400人ものひとで埋まって熱気は最高、日本人の持っている原初的なエネルギーを感じさせられた。ところで、そこに集うひとびとの習俗を観察すると、単なる伝統ではなくて、現代の最先端の風俗とのたくみな融合がはかられている。さらしを胸高にきりりと巻いた鉄火なお姐えさんが、キャバクラ嬢みたいな盛り髪であったり、トラさんみたいなダボシャツの若者がライオンのような茶髪だったり、かれや彼女らの歌舞く感じが日本人ほんらいのアレンジ力を示しているようでおもしろい。自分としても、ブルースは好きだけれども、やっぱり日本化していくわけで、そこらへんは同じだなあと思ってしまった。(`09.8.25) |
■CDができたので、過日、路上ライヴを敢行した。場所は新橋の駅頭である。出口が4つあり、それぞれ通勤帰りのひとでごったがえしていた。よさそうなところには、路上演奏お断りの貼り紙やら看板がでている。してみると、さまざまなグループやら個人がここらでパフォーマンスをやらかした短史があるらしい。しかたがないので、ちょっと離れたところで歌い始めた。 |
■あれからけっこう日がたってしまい、その後のことであらためて記すべき事柄を思い起こしてみると、9月の地元のア−ティスト主催の『ART収穫祭・こもりく』が特筆すべきことになる。 今年は参加ミュージシャンが多く、多彩な顔ぶれで楽しませてもらったが、なかでもとりわけ元気な若者がいて、昭和歌謡や大正演歌を生き生きと今日的に歌ってくれたけれども、それが岡 大介氏だった。じつはかれのことはNHKラジオ放送日曜朝の「なぎら健壱のあのころのフォークが聴きたい」で紹介されていて、わたしはこの番組を愛聴していることから、ぐうぜんにも曲と人物を知っていたのだった。 その岡 大介氏がわたしに「『練鑑ブルース』歌ってましたね」と話し掛けてくれたのだ。わたしのヴァージョンの日本語の旧さに興味があったようである。「何番くらいまで唱ってますか?」「12番まで」と応えたけれど、CDでは10番までしか唄っていない。残りの2番はロックンロールにして唄っていたのだけれど、CDでは原曲に忠実にということで、そこをカットしてあるのだった。岡氏とはうたごえ運動のことや、ソウルフラワー・もののけサミットのこと、上々颱風のこと、など話してみたかったのだが、生来のつきあいベタで場をとりもてず、そのままあいまいに流れてしまった。せっかく向こうから話し掛けてきてくれたのに、若者に対する中年男の理想の対応は示せなかった。馬鹿である。来年還暦だというのに、そうなったら「中年」ではなく「初老」になってしまうのに、あー情けない。(2009.10.15) |