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わが歌は鉄のうた
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○おんがくエッセイ CD『練監ブルース』ができるまで

50歳を過ぎてから、ひとさまのまえで本格的に自作曲を歌うようになった。といっても、地元の仲間たちとの酒席で、酔いにまかせてギターを爪弾きながら歌う、ということが大半である。そうこうしているうちに還暦なんてもんが迫ってきた。やれやれ、いっぱし歳喰っちゃったな、CDでも作るか、ということになった。電気の専門家でプロ級のミュージシャンでもある名倉のシゲちゃんに相談する。録音には旧知の写真家・岳ちゃんも参加してくれた。音楽への熱い思いを胸に秘めて、ときおり怒濤のように噴出するふたりである。感謝多謝。こうして、ひとをちっとも励ますことのないワタクシのヘタクソな歌が、めでたくもCD固定化されたわけでした。
○『練鑑ブルース』
40年前、神奈川の伊勢原で職工をやっていたときに覚えた歌である。腕に覚えがあっても過去を引きずる男たちが、ひっそり生産現場にいた。
246号線沿いの赤提灯でコップ酒片手に教えてもらった。3/4拍子の曲のなかに4/4拍子が混じっている。いろいろ考えたけれど、曲の雰囲気を大事に、とそのままいくことになった。更正よりも懲罰という、このご時世に一石投じる意味があればなあ、と少なからず思う。
○『鳥が飛び立つまでに』
このCDに納めるために書いた曲。市町村合併や道州制とは逆の発想。
○『野郎はぜんめつ』
小泉首相時代に書いた。「キツネのくせして首相が吠えたよ、ライオン頭でえ〜♪」と歌っていた。「ばかあほまぬけのハスキ−犬かい、官房長官色男〜♪」って、だれのことだ…?
○『れんげしょうま』
この花は夏に奥多摩の御岳山にいくと、じつはだれでもみることができます。わたしが最初にみたのは丹沢で、若かったせいもあり、その幽玄のたたずまいに惹かれました。で、歌い方はドック・ワトソンの真似です。「へードック・ワトソンって追分歌うひとなんだ」…ってね、あんた…ジェロじゃあないんだから、っちゅうに……(K)
※以上、ライナーより。

地元の夏祭りに自治会の役員として加わった。子供御輿の担当だったが、その他にも雑用が山のようにあって忙しかった。しかし、それも無事に終わってほっとしている。かえりみると、町内の各所で続けられている囃子の連が今回は4ケ所から集結して壮観だった。御輿の競演もあり、さして広くもない神社の境内が400人ものひとで埋まって熱気は最高、日本人の持っている原初的なエネルギーを感じさせられた。ところで、そこに集うひとびとの習俗を観察すると、単なる伝統ではなくて、現代の最先端の風俗とのたくみな融合がはかられている。さらしを胸高にきりりと巻いた鉄火なお姐えさんが、キャバクラ嬢みたいな盛り髪であったり、トラさんみたいなダボシャツの若者がライオンのような茶髪だったり、かれや彼女らの歌舞く感じが日本人ほんらいのアレンジ力を示しているようでおもしろい。自分としても、ブルースは好きだけれども、やっぱり日本化していくわけで、そこらへんは同じだなあと思ってしまった。(`09.8.25)

Arranged & Produced by Shigenobu Tomohiro

1.練鑑ブルース……………(08:51)
2.鳥が飛び立つまでに……(06:36)
3.野郎はぜんめつ…………(04:07)
4.れんげしょうま…………(05:07)
Total performance time 24:40

 
蒲原雅人 Acoustic Guitar, Vocal
重信知弘 Bass, Keyboards,
Electric Guitar,Mandolines
三宅 岳 Chromatic Harmonicas

CDができたので、過日、路上ライヴを敢行した。場所は新橋の駅頭である。出口が4つあり、それぞれ通勤帰りのひとでごったがえしていた。よさそうなところには、路上演奏お断りの貼り紙やら看板がでている。してみると、さまざまなグループやら個人がここらでパフォーマンスをやらかした短史があるらしい。しかたがないので、ちょっと離れたところで歌い始めた。
ギターにはビグノーズの20Wのアンプをつなげてある。音をだしてみると、この新橋の雑踏にはほとんど埋もれてしまうことが判った。半径2〜3mに届く程度のゲインしか稼げない。想像以上に雑踏が激しかった。最初にマイナーのインストをやる。スライドプレイだったが、音が響かず、これは声でカバーするしかない、と思い決めて定番のブルースナンバーから歌い始めた。すると、すぐに拍手がきて、何人かが周囲に立ち止まってくれた。なかに、写メ撮るおじさんがいる。いったい何にするのかね? CD搭載のテーマ曲『練監ブルース』をやるころには30分は過ぎていた。「もう終りかい、次はどこでやるんだい?」と話し掛けてきたのはホームレスの男性だった。お仲間とずっと耳を傾けてくれていたらしかった。わたしはいちばん聴いてもらいたかったひとに歌が届いたような気がしてうれしかった。

あれからけっこう日がたってしまい、その後のことであらためて記すべき事柄を思い起こしてみると、9月の地元のア−ティスト主催の『ART収穫祭・こもりく』が特筆すべきことになる。
今年は参加ミュージシャンが多く、多彩な顔ぶれで楽しませてもらったが、なかでもとりわけ元気な若者がいて、昭和歌謡や大正演歌を生き生きと今日的に歌ってくれたけれども、それが
岡 大介氏だった。じつはかれのことはNHKラジオ放送日曜朝の「なぎら健壱のあのころのフォークが聴きたい」で紹介されていて、わたしはこの番組を愛聴していることから、ぐうぜんにも曲と人物を知っていたのだった。
その岡 大介氏がわたしに「『練鑑ブルース』歌ってましたね」と話し掛けてくれたのだ。わたしのヴァージョンの日本語の旧さに興味があったようである。「何番くらいまで唱ってますか?」「12番まで」と応えたけれど、CDでは10番までしか唄っていない。残りの2番はロックンロールにして唄っていたのだけれど、CDでは原曲に忠実にということで、そこをカットしてあるのだった。岡氏とは
うたごえ運動のことや、ソウルフラワー・もののけサミットのこと、上々颱風のこと、など話してみたかったのだが、生来のつきあいベタで場をとりもてず、そのままあいまいに流れてしまった。せっかく向こうから話し掛けてきてくれたのに、若者に対する中年男の理想の対応は示せなかった。馬鹿である。来年還暦だというのに、そうなったら「中年」ではなく「初老」になってしまうのに、あー情けない。(2009.10.15)

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