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フィールドノートH
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 2005.8.17

 ■日盛りを歩めば■

8月14日。夏休みも後半にはいって、子どもたちの顔には所在なさが漂うようになった。今年の夏はどこにも出かける予定がなかったから始終家にいて、さすがに飽きている。
そんなおり、いつも土曜に社会人教育を受けているかみさんの学校も休みにはいったので、久しぶりに土日がフリーになった。それで、近場ではあるけれど、川遊びが楽しめるところへ一家で出かけることになったのである。
そこは山梨県側に車で1時間ほどはいったところで、道のりの向こうは小菅村である。地元のひとたちが自主運営しているキャンプ場だ。
ミヤママタタビの若い実と虫えい(虫こぶ)。猫なぶりとして広く知られるかたわら、古来、仙薬として不老不死に寄与するなど過剰な期待がふりまかれてきたが、どうだったんだろう?

出かけるときは太陽が照りつけていたけれど、昼食をとり、水にはいるころには時おり日が射す、といった程度のやや薄曇りの天候状況になっていた。加えて、ここは標高が500mくらいはあるので、木陰は涼しい。かみさんはすっかりリラックスしている。
この数日、激しい夕立ちが何度かあったので河川は増水しているおもむきだ。キャンプ場を流れる川もカーブの部分は流れによって深くえぐられ、大人の首くらいまで沈む。娘たちは水着になってはしゃぎまわっていた。わたしも少し泳いでみたが、水の冷たさにはすぐ慣れたし、周囲にひともいないので快適だった。キャンプ場にはけっこう客もきているのだが、大人は水着になって水にはいるということをしていない
ようだ。高校生グループも水のかけあいをしてふざけてはいる。しかし、水に飛び込むようすはみられなかった。
泳ぎながら気付いたのは、マタタビの実が流れに乗ってくること。すべて虫えいになったもので、落下しやすくなっているらしい。上流をたどってみたら両岸にたくさんのマタタビの蔓があった。
河原にたくさん実が落ちている。拾い集めてみるとそこそこの量になった。これで健康酒ができる。以前にも何度か作り、飲んでみたが効果のほどは確信できなかった。長い経験のある先達が健康維持に効あり、とされているので、それが間違いだとは思いたくないのだが。

花はまさに咲こうとする瞬間で、わたしもかみさんも娘たちもその美しさにみとれた。
次の日、敗戦記念日の15日、長女の夏休みの宿題である「地層の研究」につきあい、これまた一家そろって藤野の町のなかをドライブ。相模湖をはさんで北と南のあちらこちら、地層が露出している場所を求めて、うろつく。最後に、地元のアーティストたちがやっている自然農の畑に蓮をみにいくことになった。そこには池が作ってあって、蓮が育ててある。名倉のTさんが寄贈したもので、じつはわが家も一鉢分いただいて育てているのだ。

この絹のようにひとをひきつけてやまない白の花弁、帯緑色の外側の花弁の高貴さ、中央の楚々としたふくらみ、それを抱こうとする緑白色の葉、力強い茎、どれひとつとってもこころを打たないものはない。そのときのわたしには自己の内部に感動をもって震えるようなものがあった。そして頭ではそれとは正反対のことを考えていた。
自然は美しく、わたしたちに常に感動をもたらしてくれる。だが、その自然もよく目をこらすと、さまざまに人為によって痛めつけられ、傷つけられて声もなく悲鳴をあげている、ということを。
わたしの暮らしている場所は「陣馬相模湖県立自然公園」のエリアのなかにある。偶然とはいえ感謝している。しかし、周囲には不法投棄が絶えない。ダンプが運び込む建設残土などもあるが、多くは個人や業者が生活用品や家電などを人目をさけて投棄するものである。

家のすぐ近くに豊かな水量を誇る泉があることは引っ越してきてすぐ大家さんのおばあちゃんに聞いた。水道が引かれる以前は、この泉から煮炊き、飲料の水を汲んでいたそうである。水質がよく、水運びの苦労はあったものの、報われるものも大きかったという。
現在、この泉の水は使えない。泉のある土地の真上に不法投棄されていて、それらが厚く堆積しており、いったいなにを投棄されたのか推測することすら難しいからである。どんな有害物質が溶け出しているか判らない。
引っ越してすぐのことだったが、八王子ナンバーのセダンのトランクから古くなったゴルフバッグをかつぎだして、まさに投げ捨てようとしていた男と睨み合いになったことがある。
トランクは空だったから、すでにいくつかのものが放り投げられたあとだったのだろう。わたしたちは無言でお互い睨みあったが、ややあって、男はバッグをトランクに戻した。わたしは車が走り去るまでその場で見送っていた。このときのいやな気持ちはなかなか忘れられない。

汚いものはみたくない、自分の身の回りさえきれいであればよい、いやなことは、なかったこと、3尺下れば水清し、旅の恥はかき捨て…こんなメンタリティの持ち主が増殖している。みとがめられれば、居直る。どこにでもいるクラスのボスみたいに、「殴ったんじゃねえよ、触っただけだ」という具合だ。

庭のヤブラン。自然に増えた。晩秋にヒヨドリが黒塾した実を食べにくる。
「移植して根づき危惧せるやぶらんの夏も終らむ凛然の花」は父の歌である。この季節になると、必ず思い出す。父も母も栽培種の花よりは路傍の花を愛した。その気持ちはわたしという息子にも受け継がれている。

ところで、先日、都下杉並区の教育委員会が中学校の歴史教科書に扶桑社のものを採択した。これは考えうるかぎり最も不幸な教育的結果をもたらすものだとわたしには思える。なぜなら、新しい歴史教科書をつくる会とか、自由主義史観をうたうひとたちをわたしは歴史の不法投棄者、と考えるからである。

汚いものはみたくない、自分の身の回りさえきれいであればよい、いやなことは、なかったこと…というのは、新しい歴史教科書をつくる会とか、自由主義史観をうたうひとたちに共通したメンタリティだろう。南京大虐殺はなかった、とか、従軍慰安婦はなかった、とか、あれこれ非科学的な「資料(?)」を持ち出して強弁するけれど、根っこにある心情は子どもじみたものである。
わたしにはいま脅威にさらされているのは自然だけではなくて、戦後の歴史教育や民主主義が「不法投棄者」の脅威にさらされているように思える。こういうがさつで下品な精神があたかも日本的であるかのような装いで出てくるところに社会の退廃はあるのかもしれない。
ついでにいえば、戦後の歴史教育はただのリアルな認識の第1歩に過ぎない。自由主義史観をうたうひとたちはそれを自虐史観と揶揄する。思うにかれらは自虐の意味が判っていない。「大君のへにこそ死なめ、かえりみはせじ」天皇のために死ぬことこそ本望だ、という皇民化教育こそ自主的な自己実現を阻む自虐であって、くりかえすが、戦後民主主義教育の要であった社会科教育は現実認識獲得への歩みの始まりに過ぎないのだ。それをすら自虐史観というネーミングで葬ろうというのは戦略的には成功するかもしれないが、その果てにくるものは戦慄の未来ないし焼き直しの過去だろう。そんなものが人間にとって必要なのか?真の意味のマゾヒストたちよ。

サルナシ。といってもマタタビとの中間形かもしれない。実が茶色になればはっきりする。

自然農の田んぼのそばにサルナシが蔓を茂らせていた。キーウィの親戚で、青もぎして追熟させると味も香りも素晴らしくなる。マタタビのような薬効はない、とされるが、あんがい劣らない成分を含んでいるかもしれない。
わたしの育った九州佐賀ではマタタビの仲間たちを野外でみかけたことはなかった。マンガなどでその薬効が神秘的に扱われているのに接するたびに思ったものだ。いつかこれを採集して酒を作り、仙人みたいになってやろう、と。

               

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