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フィールドノートE
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 2002.4.11

 ■あやかしの春■


地球温暖化を日本のだれもが体験できたような、そんな早い春が列島をつらぬき、そして初夏のような日射しまで降り注ぐ。楢の芽吹きはまたたくまで、日ごとに周囲の山の色が濃く移っていく。なにかにせき立てられるように野に出て、つかのま彷徨する。やりかけの仕事が気になってしょうがない。そこを振払って、無理にも野の草たちに面を向ければ、かれらはなんのためらいもないような光の浴びっぷりだ。つやつやした緑があざやか。こうしてわたしは野に憩う。そして眼は抜け目なくこの時期の恵みに向けられていく。

▲ユリワサビ。白い小型の花もワサビに似ている。
 ユリワサビはこの時期だけの山菜である。初夏には葉が枯れて地上部の姿は来年の春までみられない。全国的な分布種とされているが、わたしの育った九州、佐賀ではみたことがない。じつはユリワサビの実際の姿を知ったのはこの8年くらいのこと、長女が誕生してまもなくのことだったと覚えている。それまでは文献上の知識でしかなかった。それがここ藤野町の金剛山近辺にあるコンクリート鋪装された谷川沿いで、桜にはまだ早い時期、偶然に眼に入ったのだった。葉のかたちはワサビにそっくり。小型であるというだけである。香りも同じ。根はちいさいが噛むと芳香がたち、わずかにつんときた。…これがユリワサビか。

そのとき、わたしはフィールドに於ける自己の守備範囲がひとつ広がったことが単純にうれしかった。文献上の知識が実物と一致する、ただそれだけのよろこび。繁殖力が弱い、と本にあったので、あとは眺めるだけにして、そのときはその場を去ったのである。ところが、それから2年ほどして、これも早春のころ団地の近くの山林をうろうろしていたらユリワサビの大群落に出会ったのである。これは、と思い、周辺を歩ける範囲で探ってみると、まあ、あるわあるわ、これは繁殖力必ずしも弱くないぞ、と認識をあらたにした。ひとつはユリワサビを山菜として利用する知識も習慣もこの地方にはないのかもしれない、と思った。 かつてあったかもしれないが、飽食の時代を経て消えた、とも考えられる。いずれにせよこれはわたしにとっては好都合なことである。これほどの素材、知らないならともかく、知っているのだ。利用しない手はないではないか。
味について。
ステーキ(もう5、6年喰ってないな…)のつけあわせに最適。クレソンの比ではない。あらゆる料理に添えて。醤油をちょこっとつけて、そのまま食べてもよい。口にひろがる清涼感。小鼻をはじく芳香。舌に走る苦辛味。で、どこにあるかって…? 先生、愚問だよ、それ。 

 いわゆる山菜と総称されるもののなかでも、長い期間に渡って利用でき、泥を落とす以外には手間もいらないもの、といえば数は限られてくる。そのうえ、人家近くに群がって生える、といえば、これは野蒜しかない。この条件を満たす山菜として他にあげるとすれば、あとはヨモギくらいか。ただ、ヨモギは沖縄のひとたちがフーチバと称して薬膳的な使い方をするのに比して、本土側の利用は春に限られる。よくてもアセモ対策に風呂に入れるくらいだろう。これに対し、野蒜は鱗茎が通年で利用できることが知られているし、場所によって時期がずれて生えるので、晩秋や初冬にも青あおとした葉柄を利用できる。わたしなど湧き水のある山懐で、厳冬期を除いてほとんど年中お世話になっているくらいだ。
春の野蒜は味噌をつけてかじるのがいちばん。次いで鱗茎をラッキョウのように酢漬けにしたりするのもよい。オリーブオイルに漬けたものもオツである。やわらかい葉柄は細かく刻んでモツ煮の上からふりかけてよし、我が家ではソバやそうめんの薬味にも使う。キムチにまぜこんでもいい。もちろん汁の実にだって使える。夏に向かうに従って葉が固くなるのはしかたがない。 

 しばらくすると葉はすべて枯れ、地上から野蒜らしい姿は消えてしまう。そして、野山に生い茂った夏草の勢いが衰えたころ、その根方に野蒜の秋の姿がちらほらのぞく。秋はキノコ狩りに夢中になるわたしであるが、そんなときはふっとかがみこんでこれを引く。するとあのよい香りが土の香とともに立ちのぼるのだ。


  わたしのフィールドノートに繰り返し出てくるのがアラゲキクラゲ。
この春も豪勢な収穫となった。
 キクラゲもわずかであるが生えていて、これはスープに入れる。こくのある味である。ただし、歯ごたえはない。あくまでそのものの味と舌触りを楽しむものである。
 図鑑などによれば、アラゲキクラゲとキクラゲは垂直的に棲み分けているとされる。しかし、例外も当然あって、わたしは神宮外苑でキクラゲをスーパーのビニール袋いっぱい採ったことがある。6〜7年前の春だったが、四ッ谷から六本木へ自転車で営業にまわる途中、公園でひとやすみしていたら、楡の巨木を伐採して積み上げた一角があり、すこしく年月のたった感じが全体からして、ぴんときた。近付くと驚いたことに透き通るような飴色のキクラゲがびっしり着いているではないか。あのときは驚いたものだったが、その後、迎賓館の近くで楠の幼木にやはりキクラゲが着いているのをみつけて、フィールドには例外が多いな、と感じいったものだった。
ところで、神宮外苑で収穫したキクラゲは、当時わたしの相棒だった写植機オペレーターのA氏に半分おすそわけした。そういえば、かれとは退職いらい会っていない。いまはメールのやりとりくらいしかしていないが、あれからわたしもさりながらA氏の人生も大きく変わっている。中高年にきつい世の中である。A氏は写植オペからMacのDTPオペに転身したけれど、仕事はゆるくないと思う。


 木の枝に着いているのはタマキクラゲ。ぷるぷるしていて、さっとゆがき、シロップに入れて子どものおやつにする。我が家の子どもたちはそれと心得、この時期は学校の帰りがけにひろってかえってきたりする。こういうものをみて、気持悪いと思うか、舌舐めずりするか、というのはむろんたいへんなちがいだが、なんにでもオープンで、ゆるやかな発想を身に着け、かつチャレンジ精神を育てていけば両者のちがいは意外にフラットなものになるような気がする。有名人を引き合いにだすのは気が引けるが、例えば、甲斐よしひろという優れたミュージシャンがいるが、かれは九州から上京した当時はイクラが食べられなかったそうである。ぬるぬる系の海産物もダメだったのが、急速にこれを克服した、とFM放送のなかで発言していた。わたしはかれの音楽が好きで武道館のコンサートにも行ったりしたくらいだが、これを聞いていっそうかれのファンになった。それもかれの持ち前の柔軟さ、に共感するからだ。似たようなことは、もっか悲しい境遇にある辻本清美もかつて言っていた。学校給食がとにかく食べられない子だったという。それがいまではなんでもこい、になったと。

 話はちがうが、彼女のようなユニークな存在が日本政治の場にいられないのは、すなわちその場の狭さにほかならない。さりながら政治とはちがうフィールドにも活躍の場はある。そこで『清美するで!』というのも決してわるい選択ではないだろう。そうわたしは思う。
 
 今週は春雨が期待できそうだ。
 アミガサタケやハルシメジの出番である。うまく巡り合えるだろうか。


               

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