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フィールドノートI
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 2005.9.5

 ■道は花むらさき■
ところどころに葛の花の紫がある。
秋暑し、という形容がぴったりな日々が続いている。夏休みが終わって、わが家の3人娘たちも学校へ通うようになった。9月1日は2学期最初の登校日だったが、5年生の次女と2年生の3女がいっしょに帰ってきたと思ったら、「お父さん、近所にキノコがはえてるよ」と声をそろえる。採ってきたものを差し出すので、みてみると、それはきれいなウスヒラタケだった。聞いてみると3女が発見したのだという。場所は家から30mも離れていない道路の脇で、片側は切り通しになっており、セメントが吹き付けてある。その道はいま葛の花がいっぱい散り敷いて、花むらさきの絨毯をひいたようだ。

どうやら道の斜面の上から倒木が降ってきて道路に落ち、腐食する段階でウスヒラタケの菌糸が宿ったらしい。娘たちはほんの3ひらほどを採ってきただけだったが、そこにはびっしりはえているという。実際に現場にいってみたが、まさに新鮮な状態が保たれていて、わたしは夢中でデジカメのシャッターを切っていた。これまでウスヒラタケにはたびたび遭遇しているけれど、こんな典型的なタイプには久しぶりにあう。
ウスヒラタケの重なり合い。強い香気がたっている。
ウスヒラタケはどんな料理にもあうキノコである。しかも今回の場合、天気の日が続いていたから菌体が湿っぽくない。香りがすばらしい。天ぷらにしても充分いける。こういうときには天然キノコは水で洗ったりはしないものである。せっかくの香りが飛んでしまうからだ。塩水に漬けて虫だしするのも控えた方がよい。仮に虫がキノコのなかに潜んでいたとしても、それはそれでおのれの消化器官にまかせる、というのが貴重な地の恵みに対する正しい態度だと思う。そこでわたしは小型で先細の洋包丁を用意し、これの先端だけを使って、おおきい菌体のものを中心にゴミを取り除いていった。そのうえで薄衣の天ぷらにしてみたけれど、まさにそれは極上の味だった。

基物はコナラのようだ。ほかの部分には多孔菌が寄生していた。

コガネヤマドリタケが裏山にぽつぽつとはえていた。ゆでるとアカヤマドリに似た黄色い煮汁がでて濃いだしがとれる。傘はぬめりがでて、柚子こしょうを溶いた醤油で味わうと思わず気分がゆたかになるような小粋な味だ。柄は刻んでチャーハンにまぜこんだ。スープはというと、鮭の白子の煮物に応用。おりよくクラフトマンたちの寄り合いがあったのでそこに供した。晩夏の里山からの贈り物である。有効に使わせていただいた。

9月4日、早朝に仕掛け網を引き上げにいく。昨晩、子どもたちは絶対に5時に起きる、といっていたが、案の定いくら声をかけても起きない。ひとりで湖畔におりていく。このところ相模湖はほぼ満水。台風のときの濁りがとれて水が澄んできている。仕掛け網にはサンマのはらわたを入れておいたが、この朝の収穫は藻エビが2匹。まあ貧弱な漁果ではあるけれど、もって帰ると子どもたちはおおよろこびだった。藻エビなんてこれまでみたことがなかったのである。「エビってかわいいね」なんて感想を口にする。そんな娘たちだったが、夕方、天ぷらにしてやると、「身がぷりぷりしてる!」と目を丸くしていた。それはそうだ、生きているものを衣のなかに落としこんで、すばやく油に放り込んだやつだから、うまくないわけがない。
子どもたちが、身の回りの自然の幸のもっているすばらしさに気付いてくれるのは、親としてなによりうれしい。ひとは自然のなかにあってこそひとであるし、それを忘れてしまうのはひとの暮らしの色彩を弱めることだと思うからだ。そのためにも、自然の幸は積極的に利用しなければならない。上手に料理して、おいしく食べること。これが基本になる。
翌5日の朝には仕掛け網のなかには12匹の藻エビがはいっていた。

先月の末に山梨県側の標高1250メートル地点まで出かけた。そこで目にしたのがレンゲショウマ、ギンリョウソウ、ウスヒラタケなど。レンゲショウマは関東にも群落地があり、最近ではTVもこの季節になるとよく現地中継したりする。しかし、わたしが70年代に丹沢で生まれて始めてみたときなどは、ほとんど幻の花のような感じだった。たしかに幽玄なおももちの花である。生育地は年々減っているという。
ギンリョウソウは葉緑素をもたない腐生寄生植物。九州佐賀ではよほど寒くなってからコジイの林などに姿をあらわす。これは標高差の問題で、佐賀は平野部がほとんどなのだから、この程度のタイムラグがあるのは当然だろう。


王子蓮。一昨年、名倉に越してきたTさんから苗をいただき、かみさんがプラスチックの漬け物容器に育てていたものである。葉は勢いよく出たものの、花がなかなか咲かなくてやきもきさせられた。それが夏も終わろうとするころ、ぽっかりと花ひらいた。ここ青田の風景とマッチして清い。ポッチ山に朝日が当たり、空気が澄んでくるきざしがするとき。家族でみとれた。
Tさんに連絡すると早速やってきて、追肥のやり方や、移植のことなどにぎやかに話していってくれた。「もしかしたら、もうひとつくらい咲くかもしれませんね」と言いおいて帰っていく。うれしい期待をもたせてくれたが、すでに花びらは散り、季節は忍びやかな秋の気配だ。
大型の台風が九州に接近しているというニュースが流れている。遠い米国ニューオーリンズではハリケーンによるおおきな被害がでている。わたしは九州の母に電話しようとMacのそばを離れた。

               

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