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 2000.7.8

■夏キノコの径(みち)■
 わたしが住んでいる藤野台という住宅団地は標高がだいたい280mくらいのところにある。裏山へつづく径をたどると標高472mの鷹取山へと至る。団地を出たら30分くらいでもうそこそこの山の上にたっているということになるわけだ。標高は低いが山が入り組んでいて、けっこう迷いやすい。尾根筋は楢や松の樹林が残っている。団地の標高は地図上の鷹取山の山頂から等高線を逆にたどって割り出したもので、正確ではないが、そう外れてもいないだろう。ここでいいたいことは、居住地がたとえば東京のまんなかだとして考えたら、ここはローランドではあるけれど、ほとんどリゾート地に近い高さにあるということである。たしかに冬は厳しいときもある。といっても関東の寒さなどたかが知れている。そのうえ他の季節の過ごしやすさは格別だ。人間関係はもちろん、まず水がいい。山ひとつむこうの沢から引いた簡易水道でカルキ臭がなく、金魚でもサワガニでもそのまま飼える。こいつは驚きである。わたしは九州の炭坑の町で育ったが、水道水は坑内の水が使われていて、とても飲めるようなものではなかった。炭住に掘られた井戸はときに危険で、じっさい赤痢騒ぎもあったほどである。高校を出て関東へ就職し、伊勢原市に13年、都心の中野区に10年住んだ。この間、水についてはただおのれの身体をそこの水に合わせるというだけだった。それがいまではペットボトルで売られているような水で顔を洗ったりしているわけで、これをありがたいと思わなくてどうする、という感じである。(写真はガンタケの幼菌。昔は喰ったが最近はみるだけにしている。本年7月20日撮影)

 水の次ぎになにがいいかといえば、季節の移り変わりに直に触れられること。わたしの場合、自然のなかにすっとはいっていって、ただじっとしているだけでもじゅうぶん満足できるのであるが、見渡したところに季節の山菜やらキノコやらがあったりすると目の色が変わるのである。
 わたしは1950年(昭和25年)の生まれだ。この時代はまだ戦後の飢えの残像が、たとえば子どもをとりまく周囲のおとなたちの削げた頬骨のあたりに濃密に漂っていた時代である。じっさいあのころのモノクロームの写真をながめると、おとなたちの頬がいちようにこけ、顔つきが男女を問わず一種精悍さを備えていたことにあらためて気づかされる。そのおとなたちのおとなたちであるゆえんが、現代とは比較にならないくらいはっきりしていた時代でもある。幼いわたしがそれをもっとも強く感じたのは、おとなたちが自然のなかから直接ものを得てきて、しかもそれが生命の美しさに満ち、生々しい生命の躍動感を直接的にもたらすことだった。それはさまざまな種類の魚類、昆虫、山菜、野鳥、小動物にいたる精巧な自然の部材であって、おとなたちの手と刃物あるいは銃、罠などの修練によって目の前に運ばれたものだった。
 話はちょっと変わるが、わたしは、父がよく研いだ包丁2本を使ってウナギを一気におろすのをみたことがある。そういう技をもっているひとは、幼かったわたしの周囲にはたくさんいた。もちろん、複雑化した情報の処理や、スポーツとか楽器とかもろもろの専門技術の習熟に現代の人間は向かっているわけだから、単純に比較はできない。できないのだが、わたしにはついつい記憶のなかにあるおとなたちのありようが、おのれをふくむ現代のおとなたちのありように重なっては消え、消えては立ち現れるのである。
 過去のなかにいるおとなたちに、記憶を手がかりにして学ぶ。
 それがノスタルジーに終わらないためには、学んだことがいまの日常に反映される必要がある……まあ、いつもこんなに理屈っぽく考えているわけではない。単純に血が騒ぐというに過ぎなくて、理屈はあとからつけたのかもしれない。それが証拠にひとたび山へはいれば、足下、樹の影、葉の裏と目は忙しく、神経は獲物をねらってまっすぐに澄んでいく。ずいぶん前置きがながくなってしまっ
た。はじめにでてきた写真についてまず説明しよう。これは桑の樹に生えたキクラゲだ。同時にアラゲキクラゲも生えていた。撮影は本年6月。場所は団地と20号線のあいだで、神奈川県と山梨県の境にかかる橋のそば。わたしがキノコというものに目覚めたのは、アラゲキクラゲを小学生のときに大量に採集し、両親にたいそう喜ばれたということによる。そんな背景があるので、キクラゲを採集するときには格別の思いを抱く。両親のにこにこした顔と、アラゲキクラゲのこりこりとした食感は決して忘れられないものとなっている。いまでもキノコのなかでいちばん好きなのがアラゲキクラゲだ。
 お次は松の切り株に生えていたマツオウジ。これも6月の始めに撮影。場所は奥牧野の廃キャンプ場である。2本の渓流が合流する地点にある。今年は比較的によく雨が降ってくれるのでキノコにとってはぐあいがいいのかもしれない。それで味の方だが、マツオウジはシイタケと近縁らしく、食感が極めて似ている。シイタケを大型にして、味も少々大味にしたら、という感じ。ひとによっては軽い中毒を起こすらしい。しかし、我が家の幼児をふくむ三人娘とかみさんとの5人家族はそれらしき徴候もなく、中華風にとろみをつけたいためものを堪能したのである。
 なにかと忙しくしていたら、はや暦は7月も下旬にはいってしまった。近所の山を歩くと、山百合がみごとな花を咲かせている。麝香百合という別名にふさわしく息苦しいほどの香りである。
 昨年は雨が少なくて夏キノコは不作だった。今年はこの分だとおととしのように大収穫が期待できそうに思う。なにしろおととしは山の斜面といわず尾根といわず、夏キノコの大発生をみたのだから。(特に多かったのがベニイグチだった)
 98年の7月の半ばから8月の1日あたりに、タマゴタケ、オオウラベニイロガワリ、ムラサキヤマドリタケ、ウスムラサキホウキタケ、アカヤマドリなどを籠いっぱいに採った。いずれも姿の美しさに加えて、味のよい種類である。
 タマゴタケは煮るととろりとした黄色いスープがとれるが、これを炊きたてのごはんのうえからかけ、醤油を落とすとまさしくたまごごはんになってしまう。椎名誠ではないがはふはふとかきこむ。鶏卵よりずっとおしゃれな味で、単純なだけに素材のよさがきわだつ。そうそう数は採れないことを考えてみれば最高にぜいたくな料理ともいえるだろう。
 オオウラベニイロガワリは山渓のフィールド図鑑にはアメリカウラベニイロガワリという名で掲載されている。だがこの命名には疑問がある。なぜアメリカとわざわざつける必要があるのだろう?巨大なことの比喩であろうがばかげている。せっかくの美味菌である。日本語の誇りをもって呼んでやりたい。(写真の中央がそれ。左はアカヤマドリ、右の2本はムラサキヤマドリタケ。下部にオオノウタケ。撮影は98年8月)さて、味の方だが、これはもう煮込み料理への利用にとどめをさす。我が家ではシチューにしている。じつに濃厚な味のスープ。酒もってこい、といいたくなる。
 ムラサキヤマドリタは名菌そのもの。柄は湯にくぐらせて薄切りにし、好みのタレをつけていただく。肉質がち密で、噛むと極上の歯触りのなかからしみだすような天然のうまみが広がる。傘はバター焼き。うまさの権化。
 ウスムラサキホウキタケは各種の菌書に熱をよく通さないと中毒することがうたわれている。外観はさわやかな色合いで清潔。(写真は収穫の一部。98年8月の撮影)しかも山中にぐるりと円を描いて大量発生するのだ。おととしはリングの半分を収穫してあとは後発のひとに譲った。けっこう同好の士がいるもので、ゆきあうこともないままに相手のことをみえないライバル視していることがある。料理だが、ほとんど鶏肉に近い味なのでそれに準じるといい。ゆでたらほぐしてサラダに使う手もある。問題は太い柄はともかく、込入った枝の間に泥や木の根を噛むことだ。これを洗い流すのがひと苦労で、わたしはあまり神経質にならずにそこそこのところでとどめて、あとはおのれの消化器官にまかせることにしている。酢醤油で焼酎のあてにすると残暑をひととき忘れることができる。
 アカヤマドリは夏キノコの代表選手。同じ代表選手でもチチタケにくらべると大きさの点で勝り、味でも勝っていると思うが、チチタケのようには数が採れないのが惜しい。その分を巨大さでカバーしているというわけでもないだろうが、とにかく大きい。ただ、完全に開傘したものは虫にやられている場合が多いのが残念である。おととしは虫にやられていない極うまの幼菌を数本収穫。シチューやカレーにいれたが、子どもたちもよろこぶメニューになった。
 先に記したように、ここらへんは鷹取山が472mだから一帯はいわゆるローランドということになる。うれしいことに尾根筋にはブナ科の大木も残っていて、キノコの生育にはぴったりなのだ。ところでこの季節海抜1.000mを越すハイランドの山岳地帯にはどのようなキノコが生えているだろうか。当然のことながら丹沢、奥多摩や道志の山々へ身を運ぶことになる。ハイランドのキノコは形もおおきく、坪に当たるとひとりでは担ぎ下ろせないくらいの量が採れることがある。(写真はハナビラタケ、マスタケ、シイタケ、ヌメリツバタケモドキなど。撮影は94年8月。採集は奥多摩)夏キノコの径をたどる山歩きはダニとか蚊との戦いが欠かせない。それでも休日になると籠をかついで勇躍でかけようとするには、ただ血が騒ぐというだけではなくて、かつて自分の周囲にいたひとたちに一歩でも近付きたいという思いがあるからだ。あの野性を見習いたいのである。あの半世紀前にわたしたちのそばにいて、そしてその多くが鬼籍にはいってしまったひとたちに。今年の夏も忙しくなる。

                      

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