◆巻頭コラム
「靖国サティアン」 蒲原雅人
■小泉首相が靖国神社を参拝した。常づね思うのだが、 そこらのお稲荷さんにお参りにいったのではない。しかし、神社というと、それもこれもみんな宗教だからというので違いが鮮明にならない。なにかこうヤスクニの持つ本来的な政治的狂暴性を端的に表現できないか、と考えた。そうしているうちに、靖国神社とはつまるところサティアンではないか、と思い立った。「小泉首相がヤスクニ・サティアンを参拝した」とすれば、事柄の本質はより鮮明になる。まがまがしいイメージも描きだせる。■さて、世論は2分されている。だが、中国や韓国の批判に反発し、「外国の干渉を受けることではない」として、小泉を支持するひとが増えているようだ。危険な徴候だと思う。こんなふうにナショナリズムを刺激するのは民主的な政治家のやることではない。ヤスクニ・サティアンは、万世一系の天皇を神とあがめる大和民 族の民草を、盲目的に国家に奉仕し、奴隷的な死をむ しろ喜びとするような、狂信の体系によって洗脳した。その仕掛けは日本の土着の思想によったのではなく、西欧の民衆がキリスト教によって精神的な統一がはかられている状況を、明治政府が天皇を現人神化することによって模倣したものだった。八百万の神々のおわす邦にヨーロッパ的な一神教をいわば国家宗教として民衆に強制したのである。■中国や韓国の批判の背景を考えるときに、欠かせない視点は、先の戦争をあたかもゲームを論じるように、対等の相手同士の争いであったかのように論じてはならない、ということだろう。朝鮮半島も中国大陸も先の大戦のときには近代化以前の社会体制であった。数々の偶然によって先に近代化をなしとげた日本は、西欧諸国がアジアやアフリカ、南北アメリカで行った通りに、文字どおり相手を蹂躙したので ある。そのこと がどれほど相手を傷つけたか、ひとつの例をあげよう。■若いころ東北を旅したことがある。気楽なひとり旅だったが、途中、あるお年寄り夫婦と言葉をかわすようになった。ローカル線のなかはあたたかく、しばらくは和やかな雰囲気だった。が、おふたりは、わたしが佐賀県の出身であることを知ると、いきなり顔を曇らせてしまった。そして、言われた言葉は忘れられない。「佐賀の人間の歩いたあとには草も生えん」この言葉はそれ以降しばしば耳にするようになるのだが、その由来にわたしが気付くのはずっと後になってからだった。そして、それが戊辰戦争の記憶によるものだということが判ってからは、「近代化」というものの意味を深く考え直すにようになった。■最近の体育学的な研究によれば、日本人は明治以前までは「走れなかった」そうである。社会の軍国主義化が進み、国民皆兵制が とられ、軍事訓練がほどこされることによって、日本人は「走る」肉体を獲得したという。戊辰戦争は薩摩、長州、土佐、肥前の西欧的な軍事訓練を受けた軍隊と、近代化以前の封建制のなかに生きていたひとたちとの内戦だった。薩長土肥の軍隊が相手をいかに蹂躙したか、会津などはさながら地獄図であったという。佐賀軍はいちはやく自藩に反射炉を築き、最新鋭のアームストロング砲を備えていた。近代的な装備と軍事訓練を受けた集団にとって、武士の抵抗など赤子の手をひねるようなものだったろう。まして当時の女性や一般民衆は走る肉体をもっていなかったのだ。■踏みにじられたものの記憶は100年たっても消えない。それは伝承というかたちで残っていく。この日本の内戦の記憶ですらそうなのだ。「外国の干渉を受けることではない」と冷たく言う前に、中国や韓国の批判の背景にあるものをもう一度考え直す必要がありはしないか。(K) |